こんにちは。
フィリピン セブ島に3年間教育移住していたAyaです。
セブ島やマレーシアだけでなく、海外への教育移住に興味のある全ての方に参考になる本、日本人は「やめる練習」がたりてない。
この本には、同じように海外に教育移住した人なら思わず共感してしまうポイントがたくさん詰まっていました。
著者の野本響子さんは、日本の小学校になじめなかった息子さんを連れてマレーシアに母子で教育移住された方なので、読んでいると子連れマレーシアのリアルをひしひしと感じることができます。
私はこの本を読んで、東南アジアに教育移住して感じていることは同じだなと思った点もありましたが、マレーシアの教育移住の面白さを感じる点もありました。
また、海外への教育移住を志してる方にとっては、日本の常識とは違う場所で生活するためのマインドの持ち方の参考になる本だとも感じました。
そこで今回は、日本人は「やめる練習」がたりてない を取り上げて、共感したポイントや今後、教育移住をしようと考えている方の参考になりそうな部分をご紹介していきます。
マレーシア移住のリアルを感じられる本
日本人は「やめる練習」がたりてない
ネガティブで衝撃的なタイトル。
どこが教育移住の参考になるの?
と、思ってしまいそうですが、この本こそが東南アジア教育移住の現実を伝えてくれている本!と私は感じています。
というのも、インスタなどで見かける教育移住者のアカウントって、どれもとてもキラキラしているんですね。
コンドミニアムのプールで子供を遊ばせていたり、美味しそうな食べ物を食べたり。
日本じゃ見られないような美しいビーチで休日を過ごしていたり。
もちろん、私もこういう楽しみ方はセブ島で過ごしていました。
でも、海外に教育移住する本質ってこのキラキラした部分じゃなくって、もっと生活に近い部分にあるのではないでしょうか。
例えば、学校の様子や人との交流、日本人的感覚では通用しないこと。
それから、日本から出たことで自分の考え方や行動がどんなふうに変化して、柔軟になっていったか。
私はここに、海外への教育移住の本質や良さがあると思っています。
「日本人はやめる練習がたりてない」 には、新たな土地で柔軟な考え方を得た教育移住者だからこそが書ける内容になっています。
次に、どんな現実が読み取れるのかを一部抜粋してご紹介していきます。
日本人は「やめる練習」がたりてない
概要&教育移住の様子
概要
この本では、日本人がやめる練習を子供のうちにしなかったがために、大人になってもやめ方がわからずに生きづらくなっている人がいるという指摘から始まります。
それに対して、習い事でも学校でも合わなければどんどん他へ移り、自分のハッピーな生き方を追求するマレーシア人の様子を紹介することで、マレーシアの親のマインドや教育事情を読者に伝えてくれています。
だから、教育移住したらどうなるの?ということが具体的に見えてくるんですね。
子供を観察し褒める先生たち
登校拒否だった長男が、みるみる元気に(P 57)
日本人は「やめる練習」がたりてない より
長男は、日本にいた時とは打って変わって、みるみる元気になった。英語もわからないのに学校が楽しくてしょうがない様子で、帰宅後のおしゃべりが止まらない。気がついたのは、インターナショナルスクールの先生たちが、とにかく子供をよくみていて、そして褒めることだ。
日本の小学校は1クラス30名を超えることが多いですが、セブ島で過ごしたインターナショナルスクール幼稚園や小学校のクラスは15名程度と少人数でした。
その分、先生が子供一人ひとりをしっかりみてくれていて、その子の特性や苦手なことをためらいなく親にも伝えてくれる先生ばかりでした。
マレーシアでも同様に、先生たちは子供たちの様子を熱心にみてくれているようです。
穴が開くほど子供を観察する先生たち(P77)
先生たちが「おたくのお子さん、音楽に向いていますよ」「いい絵を描くのでアート&クラフトを体験させてみてはどうですか」などと、提案してくれることが少なくない。(中略)
正直、親の私には全くなかった視点である。その度に、親にはない見方をする大人が周りにいることのありがたさを感じる。(中略)
インターナショナル・スクールの先生たちはクラスが少人数のためか、基本的に時間に余裕があり、子供たちを観察することに集中できる。だからこそ、子供たちの適性を見たり、アドバイスしたりできるのだろう。
日本人は「やめる練習」がたりてない より
日本の公立小学校の先生が子供に◯○させてみたらどうですか、というのはかなりレアケースかとは思います。
でも、子供の可能性を見出す1つの助言として普段から先生と保護者がこのような会話ができるのはとても良い環境だと思いませんか?
家では甘えて怠惰に見える子供も、外では頑張っていて親には見せない顔をしていますよね。
子供の外の顔をよく知る先生からのアドバイスは、親1人で見ている子供像よりももっと視点が広いのではないかと思います。
マレーシアのインターナショナルスクールの先生は子供を観察し、褒めのばししたり可能性を広げてくれる
また、褒めるという点で言えば、日本の小学校の先生のあっさり感と比較すると東南アジアの先生の褒め方はかなり温度が高いと感じます。
そして何より、親と先生の距離が近いという特徴もあります。
フィリピンでは、MessengerやFacebookで先生とつながっているので、気軽に先生と連絡を取ることができました。
例えば、学校から準備するように言われたものの質問だとか、子供のトラブルのことだとかをチャット感覚で相談することができます。(時間などのマナーは必要だと思いますが…)
少人数だからこそできることであり、1クラスの生徒数が多く業務の多い日本の小学校の先生に同じ対応を求めることはできませんが、子供を真ん中に置いて先生と親がつながっていることに安心感がありました。
厳しくも愛情にあふれていて、私が学校に行くたびに、子供の様子を事細かに教えてくれる。子供たちに対するその観察眼は、親の私でも驚くほどで、この先生のもとで、長男はいよいよ安定して授業が受けられるようになった。
日本人は「やめる練習」がたりてない より
私はこれは学校だけでは無く、習い事の先生にも共通していると思います。
セブ島で通っていた公文式の先生ともよく会話をしていました。
送迎の時などに担当の先生がひょこっと現れて、子供の状況や家でアドバイスしてほしいことを伝えてくれるんです。
だから、私も家で子供がつまづいていると感じた部分を相談したり、先生と一緒にどうやって今の子供が感じている壁を乗り換えたら良いのかを考えることができました。
先生が子供の教育を一緒に並走してくれるパートナーみたいな感覚がありました。
私はネイティブ並みに英語を操れるわけでは無いので、変な英語で話していることも多かったと思います。
それでも、私も先生も子供の成長を願う方向性は同じだったので、不思議と話しをすることができました。
現在、日本の公文に通っていますが、先生との会話のしやすさはセブ島の方があったと感じています。
子供に与えられる多くの選択肢
子供にとっても選択肢の連続(P 69)
学校生活では選択の機会が多い。
日本人は「やめる練習」がたりてない より
通っていたインターナショナル・スクールでは、スポーツ大会や遠足、毎年行われrボランティア活動などへの参加も、意思表明が必要になる。毎回、「こういった行事があります。出ますか?出ませんか?」と聞かれるのだ。全員強制参加ではなく、「行かない」という選択肢があることに私は驚いた。そういえば、最初に通ったインターナショナル・スクールでも、修学旅行は全員参加ではなく、希望者のみの参加だった。
セブ島の幼稚園や小学校でも同じく参加・不参加を問う質問票が校外学習の前に配られていました。
参加しない場合はその理由を書く欄もあります。
また、全校生で作り上げる劇でテーマがクリスマスとなったときは、参加するかしないかを宗教上の理由も配慮しながらアンケートを学校側が取っていたこともありました。
フィリピンは90%がキリスト教徒で、10%がイスラム教と言われています。
特にインターナショナルスクールは、国籍もさまざまなので考え方もバラバラです。
多様な人がいるからこそ、選択肢に配慮されているのだと感じました。
日本のように国民全員が似たような共通認識を持っている訳ではないからこそ選択肢があり、多様性を受け入れる土台がある。
クラブ活動は「続けてはいけない」(P 74)
日本人は「やめる練習」がたりてない より
マレーシアのインターナショナル・スクールでは、クラブ活動はたくさんのリストから毎年2〜3種類を自分で選ぶのが一般的だ。先生が教えるスタイルのものもあるが、多くは外部の業者が来て教えてくれるため、ほぼ有料だ。おかげで長男が小学校で経験したクラブ活動は、実に多岐にわたる。(中略)
一番戸惑ったのは、毎年同じクラブ活動を続けることが推奨されていないことだ。
日本には1つのことを続けることを美徳とする考え方があります。
ですから、同じクラブ活動を続ける風習がないなんてかわいそう!なんて感じてしまう方もいるかもしれません。
「自分にとって、ある活動が、おいしいかおいしくないか、全部トライして味を見極めることができるんだ。喩えれば、子供は草がたくさん生えている”可能性”という宝探しの場所にいるようなもの。(中略)」
これを聞いて、私は、日本の常識とは全く違う考え方をする長男にビックリした。確かに、食わず嫌いというか、やらず嫌いはあるだろう。自分が得意でないことを含め、あえてそれを小さい頃に全部体験させておくという考えもありかもしれない---ようやく、そう思えるようになってきた。
日本人は「やめる練習」がたりてないP 76より
息子さんの言葉から、得手不得手を含めていろんな体験を通じて、最終的に自分の好きを見出す考え方に合点がいった作者の様子が見てとれる部分です。
私は、これこそが海外移住の醍醐味だと思います。
日本的な考え方に縛られている母親が、子供を通じて考え方の視野を広げた瞬間。
海外移住を通じて、新たな考え方に触れて親子共々視野や可能性を広げられる
うちの子供が通っていたフィリピンの学校にはクラブ活動はありませんでしたが、子供が選択肢て学べる環境はありました。
例えば、幼稚園の昼休みの前半に中国語の勉強をすること。
小学校に上がっても中国語は選択式で取ることはできました。
みんなとるのかな?どうする?と周りの様子をまずうかがうのではなく、自分がしたいのか、したくないのか、自分の意思で選ぶことができます。
娘は小学校2年生の時から中国語を選択しました。
幼稚園・1年生から習っている子が多く、2年生から習うのは娘だけ。
私は初め難色を示しましたが、やらせてみて正解でした。
娘は興味を持った中国語のクラスに入れたことがうれしくてすぐにみんなに追いつき、良い発音の片言の中国語を披露してくれるまでになりました。
マレーシアのようにクラブ活動を通じて、いろんなことに挑戦できる環境もまた魅力的だと感じます。
子供が自ら選択し、可能性を広げられる環境がある
海外で生活することは、日本人的感覚を手放すこと
学校が始まると、困ったことが起きた。学校のバスが時間通りに来ないのだ。(中略)しまいには、バスが来なくて学校に行けない日もあった。とはいえ、「マレーシアでは渋滞で仕事に遅れるのは当たり前」と聞いていたし、他のマレーシア人保護者ものんびりしていて、怒らない。
日本人は「やめる練習」がたりてないP56より
この本の中では、いくつかの東南アジアのトラブルが描かれています。
学校の先生がやめてしまった話。
カフェテリアが約束通りオープンしない話…などなど。
日本人保護者たちの苛立ちと怒り(P61)
現地の文化に苛立って、マレーシアへの不満を持つ人が多いということだった。(中略)「日本の常識」を中心にして考えたら、確かに納得のいかないことばかりだろう。
日本人は「やめる習慣」がたりてない
私はフィリピンでも同じようにフィリピン人を非効率的だと見下した日本人の発言を日常的に耳にしていました。
日本人的感覚で暮らしている人は英語に苦手意識が多く、ローカルの友人が少ない人が多かったように思います。
日本の常識を視点に海外生活をすれば、納得のいかないことが出てきてしまいます。
これは東南アジアだけでなく、オランダの教育移住でもご飯がおいしくないだとか、オーストラリアは外食費が高いとか、どこの国に移住しても起こる問題です。
ローカルの文化やルールを理解して受け入れることで、海外生活を快適に過ごせるようになります。
また結果的に、自分自身の視野を広げることになると、私は実体験から感じています。
海外生活では日本の常識を基準にして考えず、現地の文化を一度受け入れてみる
自分の個性を見出せる教育
最後に、これだけは取り上げたい!と思った部分をご紹介します。
教育の最終的な目的はなんですか?
海外の教育移住に興味を持たれる方なら、知識偏重の偏差値教育に疑問を持っている方も多いのではないかと思います。
私は海外移住を志したときは英語が話せたらこれからの時代は有利だろう、くらいにしか考えていませんでしたが、海外移住を経て価値観が変わりました。
「中学の進路相談の先生は、偏差値を見て、君の学力ならこの高校じゃないかといった。要するに成績だけで、個人を見てないんです、受験もそうで、大学で何を学びたいかは関係ない。就職活動も企業に入るためで、入口しか見ていない。マレーシアでは個性を認めてもらえるので、自分の『好き』に向き合えるんです」と言う。
日本人は「やめる練習」がたりてないP 89より
これは、日本の小中学校を経てマレーシアの大学に通う方にインタビューした際の日本人留学生の言葉です。
学校の特色ではなく、偏差値で進学先を決めてしまうのが主流の日本。
対して、マレーシアの教育関係者の言葉は心に刺さります。
良い学校があるわけではない。その子にあう学校があるだけだ。
日本人は「やめる練習」がたりてないP 88より
学校をやめ新しい学校に行き、さまざまな学校に通うマレーシアの子供たち。
その中でやめる経験も重ねたり、新しい環境に馴染んだり、チャレンジしながら自分の特性を見出していく姿は、この本を読んだ中で私が最も印象に残ったことです。
チャレンジする中で自分の好きや個性を見つけられる環境
日本ではチャレンジできる環境がないと言っているのではなく、様々な環境で学べる結果、自己理解が深まり、子供が個性や好きにたどりやすいのだと私はこの本を読んで感じました。
偏差値教育にとらわれていて、子供が机に向かって勉強するのをよしとする風習は、一部の子供には合います。
ですが、それが全てではないし、もっと違う形の方が伸びる子供もいるのではないでしょうか。
私はこの本や、海外の教育本を読むたびに感じています。
最後に
今回は、野本響子さんの本 日本人は「やめる練習」がたりてない を取り上げて、心に残った部分をフィリピンの教育移住とマレーシアを重ね合わせながらまとめました。
これからの時代は、変化が多く答えのない時代になると言われています。
これから生きていくことになる子供たちの教育が、正解と間違いの2択で採点される偏差値教育のままで良いのか。
それは人によって考え方は異なると思います。
ただ、自分自身の体験と、この本を読んでマレーシアの教育を知ったことで、海外への教育移住は日本の教育とはまた違う成長を子供に与えてあげることができると確信しています。
今回、取り上げたことはこの本の一部に過ぎませんが、子供の教育とは、海外移住とは、生きる力とは何かなどを、感じていただければと思いブログにまとめてみました。
こちらのブログ記事が、海外移住を志す方にとって少しでも参考になるものとなればうれしいです。
野本さんの新刊「子どもが教育を選ぶ時代へ」はマレーシアにとどまらず海外の教育にまで視野を広げ、世界の教育の動向を学べる本です。
●21世紀型の教育
4C(コミュニケーション・共同・創造性・クリティカルシンキング)を重視した教育。
●従来型の教育
日本にも馴染みが深い暗記がメインの教育。
●折衷型の教育
上記2つの間をとった教育
さまざまな教育が混在するマレーシアだからこそ見える、この3つの教育方法のメリットやデメリットを踏まえながら、我が子にあった教育とは何かを考えさせてくれる楽しい本です。
こちらの本も海外で教育するための学校選びの参考になる本です。
ぜひ、こちらも参考にしてみてくださいね。