「子どもが英語ペラペラになるまでの記録」は2人の子どもがバイリンガルになるまでの様子を記録したもので今後、英語育児をされる方の参考にしていただけたらと思い綴ったものです。
詳しくは、シリーズの1回目にて、私たちのことや、この記事を読んでわかることをお伝えしていますので、詳しくお知りになりたい方は、そちらをご覧ください。
12回目となったバイリンガルになってゆく子どもたちの記録。
最終回の今回は、教育移住を終えて感じたことをまとめていきます。

私たちは、2020年6月13日に、日本人会がまとめてくれた韓国経由のチャーター便に乗って、コロナ禍の中、完全帰国しました。
教育移住の目的

教育移住をする当初、私の目的は2つでした。
・子どもたちの英語の習得
・私の新しいチャレンジ

教育移住のきっかけは13年間勤めた勤務先の退職でした。
今まで続けてきたことを辞めることは大きな決断でしたが、辞めることで私だけでなく、子どもたちの可能性もぐんと広げることができました。
教育移住から得たもの①視野が広がった
私は教育移住を終えて、吹っ切れたことがあります。
例えば、「恥ずかしい」がベースとなっていない、フィリピン人の自由な生き方。
例えば、セブで出会った日本人の、日本の枠にとらわれない考え方。
「私は個として生きている」と感じていたのに、日本で培った固定概念にはまっていて、自然と視野を狭めていたことに気付きました。
そして、それらの体験は今まで見てきた角度とは違う角度から物事をみる感覚をもたらしてくれました。

日本人としての感覚をベースとしながらも、視野が広がったことで、既存の価値観にとらわれず、より自分たちにとって大切なことは何かを考えるようになりました。
たった1つの国に住んだだけですが、日本を外から見る機会に恵まれたことは、日本人である自分をみつめるきっかけにもなりました。
また、「みんなと一緒であること」を手放すと、子育てでも他の子どもと比較して焦ることがなくなり、楽になりました。
教育移住から得たもの②自然体験

モアルボアルというセブ市から3時間強の場所では、130センチほどある大きな亀と一緒に泳いだり、イワシの大群をみました。
カミギン島という小さな島では、海にぽっかりうかんだホワイトアイランドで見たことのないくらいの美しい景色に出会いました。
マクタン・セブ国際空港近くのリゾートホテル シャングリラでは、高級リゾートを満喫しながらも、ビーチでは触れそうな位置で魚にエサをあげました。
パラワン島にスミロン、カモテス島、オランゴ島、ボホール島でも、まるで夢のような時間を過ごしました。

日本にいたら、私はこんなにたくさんの自然と関わる経験を子どもたちにさせてあげることはできなかったと思います。
将来この経験が何かに役に立つということでは無いかもしれませんが、豊かな自然の中で太陽の光をいっぱい浴びて遊んだ経験は、心を豊かにしてくれると思います。
教育移住から得たもの③度胸がついた

「私はできない」と決めつけていていたことでも、一歩踏み出せることが増えました。
以前は、英語をちゃんと話せないから、英語を話す場からは完全に逃げていました。
でも、セブ島で出来ないなりに頑張って話すことで、慣れていくことができました。

今でも、英語の先生経験のないネイティブの方の早い英語は、所々しか聞き取れませんが、その人に興味をもって、持っている限りの言葉を使って、何かしらのコミュニケーションは取ろうとする姿勢を持つことができます。
教育移住から得たもの④英語力が広げてくれる選択肢

子どもたちが英語を話せるようになったことで、進学先が日本でも海外でも、どこでもいいような、そんな気持ちになっていきました。

もちろん、本人の意向が最優先なので、はっきりしたことは決めていません。
子どもの将来を広げる進学先はどこか。
子どもの特性を活かせる進学先はどこか。
子どもが大きくなった時に、選択肢を多く持てるように、今は英語力の維持向上に取り組んでいるところです。
今、英語力維持向上に取り組んでいること
●小1の息子くー
日本の公文で英語を学び始めました。
ペラペラしゃべることができますが、小1レベルなので語彙が少なく、きっちりした文法を知らないからです。
そして、オンライン英会話でスピーキング力が落ちないようにレッスンしています。

めんどくさい時もあるけど、がんばってるよ~
●小4の娘なーたん
日本の学校にもなじみ、学習に追いつくことができました。
現在はオンライン英会話をほぼ毎日していますが、reading力をのばせるように何か始められたらと考えています。

学校では、フィリピンについて資料をまとめて、みんなに紹介したよ!私の体験を通じて、みんなに視野を広げてもらえたら嬉しいな。
日本に帰ってきてからも2人ともがんばっていますが、いつかまた半年くらいでも良いので、海外移住ができたらいいなとぼんやり考えています。

マレーシアもよさそうだし、マルタ島も良いって聞くし、ニュージーランドも気になるなぁ。アメリカ圏にも気になるところが...

え?また行くの?聞いてないなー。
次はどこがいいかな。
教育移住から得たもの⑤子どもたちの成長
日本にいても、セブ島にいても、子どもたちはしっかりと成長していたと思います。
でも、あの教育移住があったから成長できた部分もあったと私は感じています。
強さと柔軟性
日本語の通じないところで、1から生活を作り上げていった経験は、子どもたちの強さや柔軟性にどこかつながっているように思います。

くーは帰国が遅れ、小学校への入学もその分遅くなりました。
連絡帳を書くのが遅いなど、日本語力に問題はありましたが苦手意識を持たず、日本の小学校にすんなりとなじむことができました。

英語も分からないのに、1人でインターナショナル幼稚園に途中入園した時の方が不安だったなぁ。
ぼくは大きなお兄ちゃんになったから、もう大丈夫だよ!
人の大好きな子どもに
子どもたちは人が大好きな性格に成長しました。
フィリピンの方は子どもが好きな方が多く、オープンマインドなので、どこにいっても人から受け入れられる経験を重ねてきました。
また、南国在住の外国人同士の気軽さも手伝って、コンドミニアムの中でもたくさんの友達を作ることができました。
だから、人と関わることが大好きですし、上手だとも感じます。

コンドミニアムでは、イタリア人とバレーボールしたり、学外のフィリピン人のお友達とお泊り会をしたよ!

同じコンドミニアムに住んでいるロシア人のクラスメイトと一緒に休日遊んだのが良い思い出だよ。
アメリカ人のおじいちゃんとは友達みたいに仲良しだったよ!

重たい荷物を持ってロビーを通りかかった時に、子どもが仲良くしているカナダ人男性が、運ぶのを手伝ってくれ助かったこともありました。
最後に

セブ島の自宅にいる頃に前回の⑪を書いていました。
そのころはコロナの影響で、日本へのフライトがキャンセルされ続け、心の中が悶々としていました。
完全帰国して日本の生活にもすっかり戻った今、ようやく頭の中を整理することができ、この記事を書き上げることができました。
この12の記録が、2人の子どもが英語が話せるようになるまでのストーリーです。
あっという間に駆け抜けた5年間(内、海外移住3年間)でしたが、その時々は必死なことばかりでした。
特に英語育児は正解が見えません。
・どうやったら子どもが話せるようになるんだろう。
・このマンネリ感をどう解消したらいいんだろう。
教育移住だなんて、何から始めたらいいかなんてわからないことばかりでした。
分からないことばかりの中で、行動しながらその都度、着地点を模索し物事を進めていきました。
教育移住は大きな決断ですがが、移住期間によっては実際に、我が子が英語をペラペラ話し始める、そんな夢のような現実が待っています。
ぜひ、コロナが落ち着いてきたら挑戦してみてくださいね。
こちらの記事を教育移住の参考にしていただけたら幸いです。