こんにちは。
セブ島に3年間、教育移住をしていたAyaです。
「子どもが英語ペラペラになるまでの記録」シリーズは、2人の子どもがバイリンガルになるまでの様子を記録したものです。
今後、英語育児をされる方の参考にしていただけたらと思って綴ったものです。
詳しくは、シリーズの①にて、私たちのことや、この記事を読んでわかることをお伝えしていますので、よろしければそちらもご覧ください。
今回は、2019年のセブ島教育移住で、私が肌で感じたセブ島の変化「日本人の増加」と、私たちの3年目の過ごし方をレポートします。
日本からフィリピンへ

セブ島に戻る前に、パパも一緒にマニラ旅行へ出かけました。
フィリピンに住んでいるのだから、首都のマニラを見せておきたいという気持ちからの旅行でしたが、思った以上に子どもにとって楽しい旅となりました。
空港はセブ島の空港とは比べもにならないくらい大きく、セブ島では見られない高層ビル群や電車をみることができ、首都らしさを感じることが出来ました。
また、日本の水族館とは雰囲気の違う水族館 マニラオーシャンパークを訪れたり、ホテルのプールで泳いだり、ショッピングを楽しみました。

キッザニアマニラは2020年7月コロナの影響を受けて閉鎖が決定しました。
マニラには、高級ホテルステイやショッピングモール、水族館など、大人も子どもも都会の中でリゾートを楽しむことができます。
普段ならなかなか手の出ない高級ホテルのスイートルームが、フィリピン価格で宿泊できたり、親子共々夢の様な時間を過ごしました。
セブ島へ帰ってきて1番驚いたコト

1番驚いたこと、それは「日本人の多さ」でした。
新学期が始まってみると、学校にたくさんの日本人の子どもたちが入学してきていました。
今までは比較的低年齢の、幼稚園の子どもが多かった印象ですが、小学生も各学年に入ってきているような印象でした。
■くー&なーたんのクラスの日本人比率の変化
※通年学校に通われていた方の人数で、短期入学の方を除きます。
※うろ覚えな部分があるので、参考程度にご覧ください。
教育移住1年目(2017-2018)
なーたん:クラスに日本人1人
くー:クラスに日本人1人
教育移住2年目(2018-2019)
なーたん:クラスに日本人4人(全員英語ペラぺら)
くー:1名
教育移住3年目(2019-2020)
なーたん:クラスに日本人4名(2人のみ英語ペラペラ)
くー:5名(差はあるもののほぼ英語でのコミュニケーション可)
クラスの人数はだいたい15名程度ですから、日本人比率の上昇率はかなりの高さでした。
なーたん&くーのクラス以外にも急に日本人が増え、お迎えに行くとたくさんの日本人ママさんと交流できるような環境になりました。

今までのセブ生活と比べると日本にいるみたいと思うほど、日本語が溢れていました。
ただ、クラス内では英語しか使わないという方針があったので、子ども同士は英語で話していました。
英語が話せない子には時々、通訳して日本語を使う程度のようでした。
これは、子どもたちが通っていた学校が、英語ゼロでも受け入れる学校であったことが大きな理由とも言えますが、セブ島への英語習得のための教育移住が注目を集め、渡航者が増えているという背景もあったと思います。
コロナの影響で現在は、多くの日本人が帰国している状態ですが、日本人から注目されていることに間違いはないと感じています。
新学期スタート!

英語ゼロで入学したくーも、ついにSenior Kinder(年長)になりました。
なーたんも、日本の小学校では3年生、セブ島ではGrade 2(2年生)に進級しました。
3ヶ月弱ぶりの学校は、お友達と会えて本当に子どもたちは楽しそう!

ママ、Teacher Maggie頑張ってたで!めっちゃ楽しかったわ。
インターナショナルスクール1年目の担任の先生に、再びSenior Kinderで受け持ってもらうことに。
1年目は英語が話せなかったこともあり、ちょっと怖がっていた先生で、もう一人いた優しい先生になついていた彼ですが、初日から先生とのコミュニケーションも上手くいっているようで一安心。
なーたんは、Grade Schoolも2年目。
安定したもので、学用品の買い出しも昨年と必死さと比べると手際よく終えることができました。
お気に入りのヘッドバンド(カチューシャ)をつけたり、セブ島の学校は自由なのでアクセサリーをつけて、おしゃれを楽しむようにもなっていました。

なんで日本の小学校にはアクセサリーをつけて行かないの?
という疑問を持つようになり、日本とフィリピンの違いを、なーたんなりにかなり感じているのだなと思いました。
体験型の3年目

教育移住3年目は、この教育移住の最後の年にすることは家族の中で決まっていました。
だから、たくさん旅行に出かけ、今フィリピンにいることを最大限に楽しみ、たくさんの思い出を作るように心がけました。
・マクタン島のリゾートホテルステイを日本から来た親戚や友人と楽しむ。
・モアルボアルで子どもの体くらい大きなサイズの亀と泳いだり、イワシの群れを見る。
・カミギン島で冷泉めぐりをして、夕日が美しく見えるホテルに滞在。
・ボホール島ではチョコレートヒルズや美しいビーチで自然を満喫。
・パラワン島では世界遺産を見学。
・エルニドではアイランドホッピングを満喫。
そして、ドバイ旅行へも…。
観光客が日帰りで訪れる場所も、泊りがけでゆっくり楽しみました。
本当に勉強も遊びも、全力疾走でやりきる毎日でした。
3年目の子どもの成長

くーの成長
●英語と日本語のバランス
くーの英語はますます強くなり、逆に日本語は弱まりました。
家でも私に対しては日本語を使うようにしている彼でしたが、英語で話しかけてくることが増えていきました。
英語で返すとそのまま英語で話しますが、くーの話す英語は早いので私には聞き取ることができなくなります。
日本語で返すと、そこでようやく、日本語に切り替えて話すという会話の型になっていました。
●コミュニケーション能力
クラスの中でも、ルールを守らない人がいたら指摘したり、子どもたちだけでなく大人にもよくコミュニケーションをとり、クラスメイトの保護者からも彼の英語でのコミュニケーション能力について褒められるようになりました。
●自立
学校で勉強に取り組むときに、Junior Kinder(年中)の頃は自信がないとすぐ先生の横に座っていましたが、Senior Kinder(年長)になってからは、自分の力で取り組むようになりました。

なーたんの成長
●英語のアクセント
なーたんは、不思議なことに誰と話すかによって、アクセントが変わるようになりました。
フィリピン人の友達と話すときはこてこてのフィリピンなまりの英語になっているのは、誰と話すときもアメリカンアクセントのくーとは対照的でした。
私のスマホを使ってYouTubeごっこをしている時にに使う英語はアメリカンアクセント。
しかも話すジェスチャーはま、るでまるでアメリカ人。
英語を話すときと、日本語を話すときの彼女は別人に見えるようになったのは、3年目に入ったころからでした。
言語による自己表現方法の違いを体得したのだと思います。
●Reading力
公文ではReadingがどんどん進み、ついに私が教えられないような内容のレベルにまでなりました。
というと、大げさに聞こえるかもしれませんが、私の知らない単語が多すぎるようになったのです。
「ママここさぁ」と聞きに来ていたなーたんですが、あまりにも私の調べる時間がかかるので、そのうち分からないところを聞きに来なくなりました。
フィリピンの公立小学校の6年生の先生に家庭教師に来てもらった時には、「公立小学校では6年生でもここまで読めない子もいるよ」と言われたほどでした。
本来の学年より1つ学年が落ちていたということもありますが、テストでも安定して90点以上を取り、100点も毎回いくつかの科目でとっていました。
完全帰国を拒んだコロナ

私たちは教育移住を3年と最終的に決め、2020年の4月の末に完全帰国をする予定でした。
しかし、フライトは3回キャンセルされ、セブ市はロックダウン。
ようやく、帰国が出来たのは6月13日の事でした。
日本人会がまとめてくれたチャーター便が、関空にフライトを飛ばしてくれたことで、帰国が実現しました。
フライトのキャンセルが続く中、もやもやした時間もありました。
それでも、私はセブ島に教育移住できて良かったと思っています。
子どもの外出禁止令が出て、子どもたちはコンドミニアムの外に出ることが出来なくなってしまいましたが、同じコンドミニアムに住む人たちとつながり、穏やかな日々を過ごすことが出来ました。
これで、私たちの3年間の教育移住のレポートは終わります。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。
この次に、セブ島の教育移住の総括の記事を書いていますので、良かったらそちらもご覧ください。
