この「子どもが英語ペラペラになるまでの記録」は2人の子どもがバイリンガルになるまでの様子を記録したもので今後、英語育児をされる方の参考にしていただけたらと思って書いたものです。
詳しくは、シリーズの1回目にて、私たちのことや、この記事を読んでわかることをお伝えしていますので、詳しくお知りになりたい方は、そちらをご覧ください。
7回目の今回は教育移住1年目の事についてお伝えします。
語学学校への3週間の留学を経て、インターナショナル幼稚園に入学し、英語能力を発達させていく子どもたちの様子をお伝えします。
なーたんの初登園

小学1年生の9月からセブ島のインターナショナル幼稚園のSenior Kinderに通い始めたなーたん。
初日はとても緊張したそうですが、1日目に仲良しのお友達ができました。
彼女は英語のまだ分からないなーたんのお世話をしてくれました。
子ども同士って不思議なもので、なーたんは先生や他の友達が話している英語は分からなかったのに、このお友達が話している英語だけは理解することができました。
明るくて優しい先生と、この友達のお陰で、登園2日目からなーたんは楽しく幼稚園に通い始めることができました。
そして、今までの英語教育が実を結んだのか、なーたんは入園1ヶ月を超えたくらいからセンテンスで英語を話し始めました。
朝泣き続けるくーにも変化が

語学学校に通っていたなーたんよりも1ヶ月早く、幼稚園に通い始めていたくー。
相変わらず朝は泣きながらお別れする日々が続いていました。
なーたんがSenior Kinderに入園してきてからは、朝は少しずつ落ち着いてお別れができるようになっていき、3ヶ月目には泣かなくなりました!
頑張っていたとは思いますが、存分に私とのお別れを惜しんだ後、自らクラスルームに入っていけるようになったのは大きな成長でした。

入園してすぐのお子さんは日本人に限らず外国人の場合は、泣いているお子さんをみかけました。
だいたいの子が1〜2ヶ月もあれば慣れますが、性格や年齢によって数ヶ月間、ママと泣かずにお別れができない場合もあるようです。
くーは元々、日本語を話し始めるのは遅いタイプで、英語もなかなか話そうとはしませんでした。

これは、サイレント期間と言って、母国語でない言語の中に入った子どもは、まずお決まりの言葉、Yes Noや、It’s mineなどの生活に必要な言葉しか使わない状態になるんだ。
その間にいっぱい耳から英語を吸収して、ある時に急に英語を話し始めるんだ。誰もが通る道で、ぼくの場合は5ヶ月だったよ。
学年が1つ落ちていたので、クラスの友達ともそこまで気が合わないのか、あまり学校を楽しめていないかもしれないな、そんな風に感じたこともありました。
日本の保育園で一緒だったお友達の絵を描いたり、日本を思い出している様子も見て取れました。
また、自ら言うことはありませんが、「日本とフィリピンどっちが好き?」と聞くと「日本。日本に帰りたい」と1年を通じて言い続けていました。
そんなくーも、入園も5ヶ月目を迎えるころ、Be動詞と一般動詞がぐちゃぐちゃの英語を少し話し始めました。
めきめき英語力をのばしていくなーたん

くーの英語力の伸びとは違って、なーたんの英語力は周りも驚くほどにメキメキのびていきました。
入園から4ヶ月が過ぎた頃、なーたんの英会話力は私と並び、簡単なことなら伝えられるようになりました。
また、ヒアリング力については、完全に私を追い抜いていきました。

私、一応、必修科目で大学まで英語を勉強してたんですけど…

ママ、落ち込まないで!私は子どもだから、耳がいいんだよ!

この頃になるとコンドミニアムで友達を作り、遊び始めるようになりました。
もちろん会話は英語で、なーたんは自分のおもちゃを英語で紹介していました。上手ではないけれど、話したい気持ちに溢れていました。
また、学校での学習にも興味を持ち始めて、「スペルの問題だして」とせがみはじめ、bird flower eye などの単語が答えられるようになりました。
入園から5ヶ月目に話し始めたくー

幼稚園では頑張っていたと思いますが、英語を話すそぶりのなかったくーが、入園5ヶ月目にして、急に英語のセンテンスがポロポロと口から出てくるようになりました。
こうなったら、子供の成長は早いもので、言葉がどんどん出てくるようになります。
Don’t follow me!(マネしないで!)と兄弟げんかを始めてみたり、
How can I open it?(どうやって開けるの?)
I like windy day because it’s cold.(涼しいから風のある日が好き)
状況に合わせて英語で伝えることができるようになりました。
また、英語が急に強くなってきたようで日本語を話しているときも英単語が混ざり始めるようになりました。
エレベーターが止まっていて足止めされたときに…

Go downできないから、(コンドミニアムに)Stay hereして、ベランダでしゃぼんだましよっか
と言った時には驚きました。
これは結局セブ島にいる期間ずっと続いていました。

この症状は大人も同じで、英語で会話した内容を日本語で話すときには、単語が所々、英語のまま話すことがありました。
例えば健康診断の話をする時、レントゲンの話をX-Rayと言ってしまう。家庭教師をTutorと呼ぶ。などがあげられます。
卒園式を迎えた頃のなーたん

入園が9月だったため、出席率が足りずにサマークラスを受講することを条件として、なーたんは無事に卒園することができました。
1歳半からお世話になっていた保育園を日本で一度卒業しているので思い入れはそこまでなかったのですが、移住から1年もたたないうちにここまで成長してきたなーたんの成長に、また私自身走り続けてきたことを思い返すと、ふっと卒業式の時には泣けてきました。
もうすぐ1ヶ月程の日本への一時帰国が待っています。日本に帰ったら小学校2年生の授業を1ヶ月受けて、日本語の補給を行っていきます。
進級式のくー

8月に入園し、4月下旬の進級式では、舞台の上で楽しそうにダンスを踊れるようになるまで成長しました。
気の合うスウェーデン人のお友達もでき、毎日が楽しんでいる様子になりました。
また、ご飯が全部食べられないと甘える時にも英語で

I can’t eat everything.
全部食べられないよー
と甘えてみたり、

May you eat?
食べてくれる?
と私に食べるのを手伝って欲しいと伝えてくるようになりました。
もう、幼稚園で英語が話せなくて困ることは無いのだろうということは息子の姿を見ていて手に取るようにわかりました。

ちょうどこの頃、子どもたちは話す自信がついてきて、コンドミニアムでたくさんの友達をつくって会話を楽しむようになりました。
アメリカ人のおじさんと話していた時に、くーの英語を聞いてアメリカンアクセントだね、と断言してもらえるほどくーの英語はネイティブのアクセントへと伸びていきました。
でも、まだこの時期は文法に変な所はありました!
彼が、英語でペラペラ話しているときには、もう私はくーの話すスピードが速すぎて、半分くらいしか聞き取れないようになっていました。
これが、英語育児3年目、教育移住1年目の、子どもたちがちょうどペラペラ英語を話し始めたときの体験です。
なーたんとくーが通ったセブ市内にあるインターナショナル幼稚園の詳しくはこちらをご覧ください。
次は、英語育児4年目、教育移住2年目について書いていきたいと思います。